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少し前のこと。
8月9日はやすみをいただき、あんざい果樹園へ出かけてきました。
大切な友人を送る会がありました。
2008年、春から少しずつ夏に近づいていたある日。
ひとりの女性がお皿の下にひっそりとメッセージを置いていってくれました。
言葉はほとんど交わさなかったのですが、ゆっくりとcartaでの時間を
楽しんでいって下さったのがわかりました。
帰り際に気持ちの交換が確かにあって、印象に残るお客さまでした。
その何日か後、私たちは福島市でのFOR座RESTへ行きました。
その年はアン・サリーさんのライブの予定もあったのでご挨拶もかねて
お楽しみのライブを目的に。
とても暑い日で、出店されていたお店でなにか冷たいものでもと思い
あるお店の前に立ってメニューを見て、アイスコーヒーとハイビスカスティーを
注文しようと顔を上げると、先日ご来店いただき、嬉しいメッセージを忍ばせて
くれた女性がにこにこと立っていました。
お互いにとてもびっくりして、もう何をしゃべったのか憶えてないのですが
嬉しい!という気持ちをとにかく伝えあって、ずっと前から友達だったみたいな
感情が生まれました。
こんな出会いがあるんだなあと思った忘れられない一日になりました。
それが今はなき、郡山のPLAYTIMECAFEとの出会いで
そして丹治芳江さん(当時は小川芳江さん)との出会い。
プレイタイムカフェをパートナーの丹治さんと営みつつ
芳江さんはアロマテラピーのお仕事もされていました。
芳江さんのアロマのお仕事に接した一番最初は、郡山の駅前のお花屋さんの一画で
開催されていたワークショップ。
イランイランの精油を初めて香り、瞬時に涙が溢れてきたのは忘れられません。
その後は岩手の紫波のビューガーデンさんでもアロマテラビーの講座を開催されてる
ことを知って、芳江さんからNARDのアロマテラピーを学びました。
ずっと興味があったアロマテラピー。今思い返しても芳江さんから学ぶことができて
本当によかったと思っています。
日本のアロマテラピーの黎明期から携わっている芳江さんのお話は、ご自身の豊富な
経験からのものだったし、現実的でした。
cartaでも「アロマの手紙」や「アロマバー」を開いてもらったので、盛岡で
芳江さんのお人柄やアロマの知識に触れたお客さま方もいらっしゃいます。
芳江さんは「必要なかたに届くといいな」といつも願っていました。
2011年3月11日たまたま紫波でのお仕事の前にcartaに立ち寄ってお茶でも、と
思ってたそうで、そのときにあの地震。
あの時間に居合わせたお客さまと店の外に避難していたら、中津川の方から手を振って
歩いてくる芳江さんを見た時は本当に驚きました。
その後、交通事情により郡山に帰ることが難しくなり、芳江さんと私たちは
10日間ほど一緒に過ごしました。
芳江さんは原発のことにも詳しくて、そのときにいろいろ教えてもらいました。
離れている福島の家族や友人たちに早く避難するように、といつも電話をしていました。
毎日毎日、もどかしい思いで携帯で電話をしている芳江さんを見るのは
とてもせつなかったけれど、何も言えませんでした。
ただ一緒に毎日起きてご飯を食べて寝る、それを繰り返しただけのような気がしています。
その後、その時の事について芳江さんから手紙をいただいたことがありました。
まだあの日々のことをうまく書けないんだけど、一番近い言葉は
「ありがとう」だと思う、と。
芳江さんからはよく手紙が届きました。
いつもまっすぐな気持ちが届きました。
そして同じ喫茶店として仕事をしている同士、丹治さんと芳江さんと、いろんな話をしました。
震災のあと、お二人の郡山のご自宅は半壊だったので引越しがあり
さまざまなことを考えた結果なのでしょう、PLAYTIMECAFEを閉め
そして芳江さんに卵巣がんが見つかりました。
おふたりやそばにいいるまわりのご友人たちと心地よい方法を探って
とても元気になった時期もありましたが、5月にはホスピスに。
精油やコーヒーの香りに囲まれたその部屋はまるで芳江さんのお部屋そのものでした。
体調の良い日はホスピスで働く方々にアロマテラピーの講座をされていたと聞きました。
そんな中、6/29に旅立たれました。
芳江さんと長年親交の深かった、蓼科のハーバルノートの萩尾エリ子さんも
送る会にいらしていました。
芳江さんとエリ子さんのやりとりをよく芳江さんからお聞きしていました。
私も何度かエリ子さんと会うチャンスがあったのですが
不思議と何度も惜しいすれ違いがありました。
その度に芳江さんは「会わせたいなあ、盛岡にエリ子さんと一緒に行きたいなあ」
「けどそのうち一番いいタイミングが来るからさ」と笑っていました。
それが芳江さんを送る会だなんて。
エリ子さんは「芳江ちゃんがやっとあわせてくれたねえ!」と手を握り合って
おっしゃいました。
幸せなことにその日はエリ子さんのワークショップもあり、私たちは運よく
受ける事が出来ました。芳江さんとエリ子さんのワークショップ、ですね。
食べることが出来なくなった芳江さんのために、エリ子さんは
朝食、昼食、夕食、と素敵な香りのジェルを作って届けていたのだそう。
その香りがとても心に響いて、私も隣にいた友だちも涙が自然に流れました。
あんざい果樹園の敷地内、cafe in caveの建物の中で芳江さんに会うことができました。
たくさんのお花と、そして芳江さんのいろんな写真や、精油、ハーブの本。
丹治さんと芳江さんが描かれた絵。
ギャラリーではいつものように器が見られたり、アロマテラピーのワークショップが。
外では芳江さんと親交のあったミュージシャンの方々が太陽の下、果樹園の庭で
思い思いに音楽を奏でた一日。
木下ときわさん・新美博允さん、坂ノ下典正さん、青木隼人さん、吉田慶子さん。(演奏順に書きました)
先述のエリ子さんや、長年親しくされていた武藤類子さんが
芳江さんの思いでを語りました。
時々ほんのちょっと、空からは雨が落ちてきたりもしました。
そばでは丹治さんの焙煎したコーヒー豆を使ったコーヒーやかき氷。
いろんな場所からここに集まったひとたち。
再会も、出会いもあって、みんなそれぞれの過ごし方で芳江さんを思い出して
芳江さんと一緒にいました。
こんなふうに旅だったひとと一緒にいられる時間、すばらしいと思いました。
蝉の声、果物のかすかな甘い香り、風、緑、太陽、笑顔、うたごえ、穏やかな音楽。
本当に本当に気持ちがよくて、楽しかった!
エアポケットのような夏のよい一日でした。
芳江さんがこの世にいないことは事実なんですが
不思議と希望というか、こころの中にあたたかでかすかな決意(この言葉じゃないかもしれないけど)みたいなものがあるのです。
あの場所にいたひとたちも、そんな気持ちでいるんじゃないかな。
芳江さんと知り合えて、芳江さんが芳江さんの方法で生きていたことを
実感してるからだね、きっと。
「芳江さんのこと」と書いたけれど、ほんの一部分。私たちが接した一面。
たくさんの方が芳江さんとのあたたかい場面をもっていらっしゃると思います。
この先、ふとしたときに芳江さんの笑った顔や一言を思い出すのだろうな。
ほんとうにありがとう。
PLAYTIMECAFE、今は店舗はありませんが、丹治さんはコーヒー豆の焙煎をしています。
出張PLAYTIMECAFEで時々コーヒーを淹れていることもあるそう。
そんなニュースを見かけた時はぜひ遊びにでかけてみてくださいね。
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