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地震の日、大きな揺れで店内にいたお客さまと外へ避難していたら
中津川の方から郡山のPLAYTIMECAFEの芳江さんが手を振りながら歩いてきました。
びっくりしたけど、すごく心強いお姉さんが現れてくれた!と思って
すこしほっとしたのを覚えています。
たまたま、紫波でお仕事があって、その前にcartaでお茶を、と
盛岡に立ち寄ってくれた時に地震にあったのでした。
その後、帰る交通手段もなく、またどこに帰るかという問題もあり
今日まで10日間一緒に暮らしました。
盛岡でもライブをしてくださった福島の南相馬市に住んでいた
吉田慶子さんが無事で避難していることも芳江さんを通じて知りました。
そしてお恥ずかしい話、福島の芳江さんと一緒に居て
福島に東京電力の原子力発電所があり、それがどういうことか
ということを初めてちゃんと認識しました。
地震の災害と、原子力発電所で今起きていることは
一緒くたではない気がします。
これは個人的な思いですが
もうウソなんて通用しないんじゃない?ということを強く感じます。
見て見ぬふりで蓋をしていた事柄や感情や
伸ばし延ばしにしてきたナニカはもう隠しておけないような。
ウソなしで、自分が責任を負えるところで
その日、その時、自分の出来ることをしていたら
健やかな生き方になっていくのかも。
今朝は3人で海藻たっぷりの味噌汁を飲みました。
もちろん味噌はみんなで福島で仕込んだおいしい味噌で。
その後一緒に盛岡駅まで行き、またね!とニッコリしっかり握手を。
芳江さんは「いってきます!」とバスで福島県郡山市に戻りました。
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